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Biography次世代に伝えること
ハワイ、オアフ島、ハナウマベイ

今後の若い世代への期待を込めて書き残しておきたいと思います。
「既存の大学などの研究機関で開発された技術を、
どう産業界に生かしていくか」というテーマで、
Dr.Yoneo Sagawa(以下、サガワ先生)との出会いをご紹介したいと思います。

ハワイ、オアフ島、ハナウマベイ
異国文化にふれる
  東京オリンピックが開催された年、1964年にこの世に生をうけた。
 高度成長期の真っ最中で、日本中がなにやら騒がしく努力していた時代であった。
そんな時代のなかで、なぜだか幼児の頃からとにかく強く西洋に憧れを抱いていた。
カトリック系の幼稚園に通っていたからか、父がランの仕入れで海外とよく連絡をとっていたからか、 理由ははっきりしないのだが、アポロが月面に着陸したことに大興奮して、 いつも頭の中には強くてでかいアメリカがあった。
  いまだに捨てられない消防車のミニカーもその当時のものだ。
 MADE IN GT BRITAINと裏に刻み込まれている。当時の父は製麺業で羽振りがよかったのか、 やたら英国製やイタリア製や米国製の高価なおもちゃを海外からランを輸入するのと同時に持ち帰ってくれたものだ。
 その当時の我が国のおもちゃとは比べものにならないほど精巧に出来ていて、 驚きと異国へのあこがれが強くなった幼児期でもあった。

平和な幼少時代 平和な幼少時代
平和な幼少時代
進学高校から希望大学へ
 その後、大阪府立生野高校へ進学し、周りの友は東京大学、京都大学、大阪大学、神戸大学と進むなか、 大阪からたった一人で千葉大学を受験したのである。
 その理由は園芸学部(現在は改組され改名されているらしい)という日本で唯一歴史ある大学を父が薦めてくれたからである。
 千葉大学には父と面識がある安藤助教授(現在、同研究室教授)がおられ、 「ランについて学ばせるなら千葉大で」という父のひいたレールに乗ったのである。
 受験の合格発表を見に行った折、自分の受験番号を見つけて大喜びで実家に電話を入れたところ、 なんと安藤先生がひとあしさきに電話で両親に合格の知らせをして頂いていたのである。
 これには驚いた。国立の先生が一人の学生の合否をチェックして報告して下さるなんて・・・。
 当時ひそかにびびっていたものだ。
  父が安藤先生にすごい賄賂を送っていたのではないかと思って。
 しかし、そんなバカなことはなく、後に安藤先生がまだ京都大学におられた頃、 父は惜しげもなく実験材料を提供したことがあったからであるらしいことがわかった。
 先生はその恩義を感じて、合否を知らせて下さったのだろう。

18歳受験直前 20歳直前ハワイへ 4人組み手 安藤敏夫博士
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